ひゅうまん京都

WEB版 『ひゅうまん京都』

 

 
 
橋本慶一の外国紀行
(05年10月号)

韓国紀行 4 歴史を考える

 視察3日目の朝は受け入れ先の都合で午前10時となりました。前にも書いたとおり全日程観光なしという、少しさびしいツアーでしたので、責任者のYさんが気を遣って、「2時間ほどですけれど出発までどこか観光しませんか」と言ってくださいました。
 ソウルには李氏朝鮮王朝時代の歴史的建造物もあり世界遺産に指定されているのですが、往復の移動時間も含めて2時間で見学可能な場所は限られています。行きたい気持ちは山々ですが、結局、向かった先は南山公園というソウル市内を一望できる高台でした。 実際に行ったのは私とYさん含めて3人だけ。しかも、当日の朝はあいにく濃い霧が立ち込め、タクシーで上に行くほど視界が悪くなる始末でした。
 その南山公園の中腹に「安重根(アンジュングン)義士記念館」という小さな建物があります。本当の目的地はここでした。
 さて、安重根という名前をどこかでお聞きになったことはあるでしょうか。ご存知の向きには余分な説明で申しわけないのですが、安重根は09年10月26日、中国のハルピンで、初代韓国統監だった伊藤博文を「暗殺」した人物です。私が知っていたのも、暗殺者としての安重根とソウルに記念館があるということだけでした。
 なぜ短い時間を使ってこの記念館を目指したのか。それは、今回のツアーの目的が福祉視察とはいえ、韓国のことを日本人が考えるとき、先の戦争での両国の関係のことを抜きにしては、どこかうそが混じるような気がしたからでした。
 記念館は、ワンフロアーの展示室に遺品を中心としたものとビデオで構成されていました。暗殺したという事実は今日的な感覚では単純に美化できない側面もあるとは思いますが、展示品を見る限りでは、カトリックの洗礼を受け、フランス語を学び私財で学校を開設するなど単なる暴徒などとは縁遠い人物像がそこに描かれていました。
 そのような人物をして、なぜ対日武装闘争に駆り立てたのか。そのとき既にすさまじい日本の支配があった証拠であろうと容易に想像がつくのです。知っているようで知らない事実が、時間の経過の中で風化させられ、あるいはある特定の意図の下に捻じ曲げられていく。そのことを日本国内の限られた情報の中では、何が事実だったのかさえ分からなくなるのだ、ということを改めて感じさせられました。
 その日、通訳の大学院生に「記念館」のことを話したら存在すら知らなかったことには、少し驚きました。戦後60年、ヨーロッパでは今でもポーランドのアウシュビッツに若い世代も含めて多く人々が訪れると聞きます。さて、私も含めて両国民、特に若者よ、忘れるだけでよいのですか、と問いかけなければいけない時代になっているのではないでしょうか。

(京都市職員・ケースワーカー。脳性小児麻痺、身障手帳2級所持)


 
 


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