ひょっとすると…、イヤイヤあり得ない…、でもそうなれば面白いが…。なんて思う事がよくあるが、結果はあり得ないことが多いのだが、今回はその少ない方に当たった。
母校・唐津東高同窓会の一件はどうやら小欄の今年のシリーズになりそうだ。414名の同期生中16名が関西在住で、その中の3名と直接TEL連絡取れ、内2名の神戸在住者と5月GWにお会いしたことは254回で紹介した。残り1名のMさん(女性)と6月にやっとお会いした。「やっと」とは、Mさんが私以外では唯一の京都(府)在住で宇治にお住まいだが、ご多聞にもれずご家族の介護で忙しくされていて、日程が取れなかった事と、同窓生名簿の住所不明扱いの彼女の従兄弟も同期で、京都(府)の向日市在住で看護師をしていると聞いていて、その事も詳しく聞きたかったからだ。
6月の日曜日、彼女宅に近い寿司屋(回転寿司)で50年ぶりに会った。高校同期の場合は40年ぶりとなるが、彼女が以前TELで「お忘れかも知れませんが、富田さんとは小学校〜中学校〜高校まで一緒でしたのョ。ご実家の場所も覚えていますョ」と。小学校からの同窓なので何と50年ぶりとなる。妻を連れて店に入っても、お互い50年前の面影がしっかり残っていてすぐわかった。話しは高校時代より、小学校の事ばかり。不思議なもので、男性の私は学校の建物内外や周辺地理などはよく覚えていたが、女性の彼女は何年生の時の先生の名前とか、同級生の家族構成とかをしっかり覚えている。…50年経っても見事に。
懇親場所は回転寿司店。寿司も回転するなら客もどんどん回転しての商売だが、何とそこで2時間半、話に花が咲きすぎてお互い重い腰を上げたのは、話に加わらない同席の妻が、さすがに満腹で、デザートも食べ飽きた状態に気付いてから。
さて、ここから本題。
数日して彼女からのお礼のTEL。「お聞ききしたインターネット検索で『富田秀信』を開いてビックリ。3年前の(地元)新聞の記事を私は読んでいて、すごい人がいるもんだなァと、夫とその同僚の記者の事をしゃべっていました。」私「同僚とは…?」。彼女は言いにくそうに「同じ編集局にいます」と。…何と!そして数日、彼女の従兄弟のHさん(女性)から初TELをいただく。「高校卒業して京都に。長く伏見区の国立病院勤務で、現在は西京区の老人保健施設にいます」その施設とは、12年前妻が倒れて救急車で運ばれた病院と同法人。HさんはTEL用件を「従兄弟のMから聞いてビックリしています。富田さんに、近いうちに私の職場で奥さんの話をして欲しい」と。当然私は快諾。
414名中たった3名の京都在住者は、若年認知症の我が夫婦、それを記事にしたMさんの夫さんの新聞社、そのMさんの従兄弟のHさんは、妻が運ばれた病院系列の介護職と、不思議な糸で紡がれていたのである。
そして何より、この3人は20歳過ぎから30数年間この京都の同じ空の下で暮らしていたのだ。
もちろんお互いの境遇はつゆ知らず…。 |
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| 筆者紹介 |
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富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
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